黒田官兵衛商品特集

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黒田官兵衛商品特集 我、人に媚びず、富貴を望まず
信長、秀吉、家康に讃えられ、そして恐れられた男 「天才軍師官兵衛」 負けを知らないその彼が愛用した兜 「赤合子」 官兵衛の赤合子 ~餅どら~
天才軍師官兵衛

豊臣秀吉の参謀として、秀吉の天下統一を演出した天才軍師、黒田官兵衛(隠居名 如水)。
彼は、福岡藩祖。この福岡の町の基礎を作った人物です。
生涯五十数度の合戦で一度も負けを知らなかった戦の天才、軍師官兵衛が愛用した兜が「赤合子(あかごうす)」(朱塗合子形兜(しゅぬりごうすなりかぶと)。戦場で赤合子を見た敵兵は、相手の将が軍師官兵衛であると知り「この戦は勝てない」と戦意喪失したそうです。

「官兵衛の赤合子」と恐れられたこの兜、合子とは、ふたつきの器のこと。 当時、戦国大名が趣向を凝らした変わり兜の中でも、とてもユニークな形をしています。
この兜は、如水公の正室・光姫の里である櫛橋家から婚約の祝いに贈られたものといわれています。

如水公は全戦全勝の天才軍師でしたが、「なるべく人を殺さずに勝ちを手にする」ことが彼の真骨頂でした。秀吉が天下統一すれば、戦はなくなり民が平和に暮らせる世の中になる。彼が秀吉の参謀として天下統一に邁進したのは「悲惨な戦乱の世を終わらせて、平和な世の中にしたい。」という悲願があったからなのです。
如水公が仕えた織田信長・豊臣秀吉は、如水公の天才軍師ぶりをこう評しています。

信長曰く「官兵衛、敵をすぐさま追い崩し、あまたを討ち取った旨、神妙である」。
秀吉曰く「官兵衛の謀、凡人の及ぶところにあらず」。

そして、最終的に天下を取った徳川家康は如水公のことを「今の世に、古の道をゆくは、如水ただ一人」と言い、名誉にも権力にも執着せず自らの生き方を貫いた男と讃えました。

官兵衛の赤合子

黒糖生地で粒あんを包んだ「餅どら」で「官兵衛の赤合子」をあらわした。独自の技術で開発した生地のモチモチとした食感をお楽しみください。

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如水公への思いをこめて、六十数年 もなか 黒田五十二萬石

時は、昭和二十六年。「旧福岡藩の歴史にふさわしい菓子を作りたい」という強い思いを抱いた如水庵の先代社長森正美は、黒田官兵衛(如水)のご子孫、黒田長禮公のもとを訪れた。その熱い思いを伝えると、長禮公は家紋の使用を快諾くださり、「藤巴(ふじどもえ)」の紋が入った屋根瓦をくださった。その紋を写し取り、精魂こめてつくりあげたのが「もなか黒田五十二萬石」なのです。現社長の森恍次郎は、「黒田如水のように生きよ」という先代社長の言葉と、如水への深い尊敬の念から、屋号を「如水庵」と改名。平和の世をつくるため創意工夫を重ねた黒田如水のように、おいしく、健康によいお菓子で、家庭の平和と世界の平和に貢献する。如水庵の一つ一つの菓子には、そんな願い込められています。

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どら焼き~日本号~

福岡には黒田節という民謡があります。
この黒田節は、母里太兵衛にまつわる逸話から生まれた民謡です。
大河ドラマで、速水もこみちさんが演じている母里太兵衛は、黒田二十四騎の中でもトップの槍使いの豪傑です。太兵衛はとても豪快な武将だったようで、官兵衛は年長で分別がある栗山善助と兄弟の契りを結ばせ、善助の指示に従わせました。
日本号はその母里太兵衛が使っていた槍の名前です。

如水庵は代々、神社仏閣へ納める“お供物”をつくるのが主な仕事でした。けれど、時代とともに社長の森が「一般のお客様にも食べてもらえるお菓子を」と考えるようになり、当時土産菓子として人気だった最中を如水庵でも作ることになりました。最中の開発にあたって、最初に森が着手したのが、餡の改良でした。

理想の餡を探し求め、たどり着いた素材が、アカネ大納言「色薄(いろうす)」でした。アカネ大納言「色薄」は、北海道十勝平野の農家が手間ひまかけて栽培する稀少な品種です。煮崩れしにくい大納言小豆の中でも特に風味が素晴らしく、本来のアカネ大納言は皮が固く色も黒いのですが、「色薄」は色が薄くて皮が柔らかいのが特徴です。餡にすると香りがよく、皮が舌に残らず滑らかで、同じアカネ大納言でも大きく特長がちがいます。如水庵では一粒すつ手で選り分けられてたものを、独特の製法「ごはん炊き」で小豆の旨味を閉じ込め、丁寧に炊き上げています。

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  • もなか 黒田五十二萬石
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